不登校児母の本音|親子が抱える本当の問題点

記事内に含まれている広告では、私が実際に使ってみて良かったものをご紹介させて頂いております。

不登校児の母歴、丸3年のもりーです。

正確には、娘たちが幼稚園児の頃から向き合ってきた問題なので、実質的にはもっと長いです。

世間的には何かと、問題にされやすい不登校ですが。

娘たちの不登校を真っ向から受け入れてきた私に見えて来た本当の問題点は、

検索で簡単にひっかかるような問題点やリスク、ではありませんでした。

 

結論から言うと、

子どもの心が置き去りになり、大人と子どもの向いている方向が、全くもってバラバラ

この状態こそが、問題の出発点であることが多い、というのが私の率直な意見です。

加えてこれらはとても大事なポイントであるのにも関わらず、見過ごされがちだと思います。

というわけでここからは、個人的な持論にはなりますが 

私が本気で考える、不登校に対する問題点

について書いて行きます。

もりー
もりー

ものっすごく複雑な問題が絡み合っていると思う!

 

親と子|それぞれの立場から見る本当の問題点

そもそも

問題点というものは、立場によって見え方が異なるものです。

主張したいことがそれぞれに違うのだから、当然のことなのでしょう。

しかしこの時点で既に、大きな問題が孕んでいるということにお気付きでしょうか?

社会というものはどうしても、下記のような構造になっています。

多数派の意見=正解(正しそう)

権力がある人の意見=正解(正しそう)

大人(親や先生)の意見=正解(正しそう)

たとえ自分が、正解(正しそう)と思わなかったとしても

多数派に従っていたら、とりあえず安心を得られる

というのは、ヒトの性というものではないでしょうか?

もりー
もりー

無意識レベルで(ヒトって)そういうものだと思っています!

ここを踏まえた上でここからは、以下について書いて行きます。

  • 私たち親子(というか私)がかつて抱えていた大きな問題点
  • そこからどのようにして抜け出してきたか

学校に行けるようになる方法ではありませんので、くれぐれもご注意下さい。

  

親が抱えていた問題点

子どもが「学校に行きたくない」と言い出した時に、

待ってました、よく言えたね!

と素直に思える親はほとんどいないと思っている私ですが、ご経験のある皆様はいかがでしょうか?

少なくとも当時の私は、そんなことは微塵も思えませんでした。

娘たちの場合は幼稚園時代から集団に馴染めない傾向が強かったので、登校しぶりや登校拒否も想定内のことではありました。

それだとしても!

もりー
もりー

ついに恐れていた日がやって来てしまった・・・

というのが当時の本音です。

次に私の頭を支配するようになったのは、様々な不安と心配です。

  • 私の関わり方のどこに問題があったのだろう?
  • どうしたら学校に行けるようになるのだろうか?
  • 引きこもりになってしまったらどうしよう・・・
  • 周りの人にどう思われるかな?どう説明したら良いのだろう?

などなど。

挙げ出したらキリがないくらい、不安と心配に支配される日々。

今考えてみても「この心の動きは自然なことだよなぁ・・・」とは思いつつも、

「自分可愛さから来ている心の動きばかりだったなぁ・・・」とも思います。

つまり

この時の私は、娘と全く違う方向を見ていたのです。

 

当時の娘の様子

相当な不安とストレスにさらされていたであろうことは間違いありません。

学校に行くことが既に相当にしんどいのに、親にさえも なかなか理解してもらえない。

なんなら、わかろうともしてもらえない・・・。

狭い子どもの世界に生きる娘にとっては、絶望的と言っても過言ではないと思います。

 

不登校になった娘(当時小1)は、学校を毎日休むようになってからも、日に日に状態が悪くなっていきました。

『休んでいればすぐに回復する』という程、単純な問題ではなかったのです。

具体的には、感覚過敏がどんどん悪化していきました。

  • 笑わない
  • 日中起きている時間が短くなる
  • パンツも靴下も履けない
  • 身体を横たわらせることができる布団が限定される
  • 日中は裸で過ごし、限られた布団か毛布にくるまって過ごす
  • 身につけているものがなくなり、髪の毛を気にするようになる

⑥を目の当たりにした私は、ついに悟りました。

もりー
もりー

彼女にとって最後に身につけている物は、髪の毛なのだ・・・

と。

つまり。娘が自分の髪の毛を抜き始めることが、容易に想像できたのです。

 

このような状態の娘と、日々、ほぼ片時も離れず暮らす中で私は、

生きる

ということについて、深く深く考えさせられることになりました。

それと同時に、

親が我が子の味方で在れなくなったら、子どもの味方はどこに存在するのだろう?

ひいては、

子どもが唯一の味方(親)や、唯一の安住の地(家庭)を失うということは、生きること自体が非常に困難になることを意味するのではないか?

ということを、痛感させられたのでした。

 

🔻当時の私が影響を受けた書籍のご紹介です。

 

脱出|親が子どもと同じ方向を向けるようになってから

娘と過ごす日々の中で私は、娘と同じ方向を向けるようになって行きました。

少しずつ少しずつ、です。

子どもと同じ方向を向くということが、こんなにも難しいことだなんて・・・

経験してみて、初めてわかったことでした。

親が子どもに歩み寄り、子どもと同じ方向を向けるようになって初めて、子どもが抱える本当の問題をシェアできるようになります。

ここが本当の意味でのスタート地点、とも言えるのかもしれません。

 

子どもと同じ方向を見て対話ができるようになると、このような関係性が生まれ始めました。

  • 子どもの選択肢を親が勝手に奪わない
  • 子どもの考えを心から尊重して受け止める
  • 子どもも本音を出しやすくなる

関連記事▷https://homo-sapiens-meg.blog/homeschool/ 

 

親子関係が良いカタチになってくると、家庭環境が格段にUPします。

これは本当に驚くほどそうで、おそらく、

ヒトの健全な暮らしの営みには欠かせない部分なのだろうと、私は確信しています。

 

まとめ

ここには書いたことは、ほんの一例であり、たったひとりの母親の意見です。

子どもを取り巻く環境というものは実に複雑で、家庭環境も然り。

そしてそれは年々、複雑さを増しているような気がします。

正解なんてどこにもない子育てですが、誰もが子どもの幸せを願い、一生懸命に子育てしていることは確かなはずです。

しかしここにも落とし穴があって、

子どもの幸せを願いすぎるが故に、子ども抱える問題を複雑化してしまうこと

は、本当によくありがちなことなのかもしれません。

 

親子だからと言って、お互いのすべてを理解し合うことは不可能です。

それぞれに違う人格をもつ、ひとりひとりの人間なのだから当然です。

しかし「理解したい」と願い、歩み寄ることは可能なのだと、私は身をもって知りました。

なんなら、ちょっと遠慮がちに言ったとしても、

子どもに歩み寄る努力をすることこそが、親の役目

なのだと思います。

 

ささやかな親の行動の変化は、少しずつ少しずつ、子どもとの関係性を良いものに変化させていくことは、きっと間違いありません。

そして家族の誰かが逆境に陥った時に、その良好な関係性が力を発揮するということは、大いにあることだと私は信じています。

 

というわけで、今回の記事はこれでおしまいです。

もしよろしければ、もりー家の朝の様子もご覧下さい!

それではみなさまごきげんよう♫ もりー