この記事は主に、
- 子どもが不登校になり、母親の家事の量が増えて大変
- 子どもがずっと家にいても、すっきりとした空間を保ちたい
というような方向けの記事になっております。
結論から言うと、
家庭における環境設定に子どもたちも巻き込む
というのが私なりの方法です。
我が家は実際にこの方法で、家族の平和とスッキリした空間が、1年以上保たれています。
というわけでここからは、もりー家の具体的な方法をご紹介していきます。
なお、この方法は
- 家事に子どもを巻き込むのは反対派
- 子どもが不登校になりたてで、まだ親子の関係性が不安定である
というような方にとっては、参考にならない部分も多く含まれるかもしれませんので、あらかじめご了承下さい。
特に後者の方へ
我が家の場合も、子ども達が不安定な時期に、何かを考えたり暮らしを整えたりする余裕なんてありませんでした。
日々を生きるのでやっと・・・という時期を経て、みんなが前向きに生きられるようになってから、少しずつ少しずつ試行錯誤しながら、やっとやっと定着してきた方法です。
不登校における問題は、とにかく時間がかかります。
「こんな生き方もあるんだな・・・」と、少しでも何かのヒントをお持ち帰り頂けましたら幸いです。
葛藤だらけ|家事に子どもたちを巻き込んできた経緯
学校生活から離れ、子どもの心身の状態が回復してくると、次第に時間を持て余すようになります。
それに対して母親は、せっせとひとりで家事を進めているわけです。
時間を持て余すようになった子どもを横目に、
暇なら手伝えーー!!
と、暴言を何度吐きたくなったかわかりません。。
とは言え!
時間を持て余すようになって来た、というのは良い兆候。
心がどん底に落ち込んでいたところから、学校を離れ、ようやく心の健康を取り戻しそうな時に、せかしたり追い込んだりするのは良くないわけで。
ここは理屈でグッとこらえ、子どもの心の回復を優先してきました。
娘の調子が少しずつ回復してきた頃合いを見て私がとった行動は、
(私がやっている家事の手を途中で止めて)「これやる?」と、自然と聞いてみる
ということでした。
「え、そんなこと?!」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
でもね、これが意外と難しいんです!
少し想像してみて下さい。
「暇なら手伝えー!!」と言いたくなるような時を乗り越えてこその、自然な振る舞いなのですから。
あの頃は、修行じゃった・・・。
🔻私のこれまでの葛藤をお話ししています。
先に、母親である私の心の動きを素直に綴ってみましたが。。
私自身が冷静な思考を取り戻し、子どもたちの様子を俯瞰して見られるようになると、下記のようなことが痛いほど感じられるようになりました。
学校に行けなくなった子どもたちは、引け目を抱えて生きている。
家庭でも肩身の狭い思いをしながら生きていなければならないなんて、どう考えてもしんどいよね。
これらの様々な葛藤を繰り返しながら、ようやくたどり着いた結論が
家庭の中で自分にしごとが与えられることにより、子ども自信に「自分はここ(家)にいてもいいんだ」という感覚が増すに違いない
ということだった、というわけです。
家事参加に対する子どもたちの反応
子どもたちの反応は、とても素直なことが多かったと振り返っています。
やりたい時は「やる」と返ってきたし、やりたくない時は「やらない」と。
それで良いんですよね。
「やりなさい」と誰かから強いられるわけでもなく、「やらなくては」と強迫観念に怯えるわけでもなく。
その時の自分の心の声に耳を傾け選択し、母親である私に素直に答える。
このシンプルなやりとりが功を奏したのだろうと、今でも思います。
心の回復と共に、積極的に家事に参加するようになった娘たち。
我が家では、幼い頃からお手伝いの習慣があったからか、娘たちの家事参加の過程はスムーズだったように思います。
不登校|子どもたちが担う家事
ここからは、娘たちの現在のリアルな家事事情を書いて行きます。
毎日▷ひとり一箇所|基本▷自分のものは自分で
長女▷洗面所
次女▷ルンバが入れないリビングの一部分を掃除機がけ
洗濯物▷自分の物は自分で干す・取り込む
※洗濯物に関しては、柔軟に対応しています。
自分のついでにすべてやった場合→お駄賃発生
🔻次女が干した布巾類
子どもが洗濯物を干す時は、踏み台に登って行うよりも長いS字フックを使用して洗濯物を子どもの目線まで下ろした方が、圧倒的にやりやすい!というのは私の持論です。
選択制|お駄賃が発生するシステム
様々な過程を経て、現在は家事のひとつひとつに価格設定がされています。
ここで強調しておきたいことは、最初から家事に価格設定がされていたわけではないですよ~!ということです。
不登校初期の頃の娘たちにとって、家事はリハビリのようなものでもありました。
当然ですが、私が娘たちをアテにするという感覚は毛頭ありませんでした。
しかし、娘たちの回復と共に、その状況も次第に変化していきました。
私が彼女たちをアテにできるくらい、娘たちは積極的に家事に取り組み、家事スキルをぐんぐん伸ばしていったのです。
それで私は決めたのです。
家事に対価を支払おう
その頃ちょうど、私が自宅でしごとを始める時期でもありました。
そういうことも重なって、家事の対価を決めた頃には「みんなで協力して生きていこう!」という共通認識も生まれていたように思います。
家事に対価を支払ったことから生まれた、新たなメリットもありました。
これについては、また別の機会に書いてみたいと思っています。
変化|子ども達が家事の一端を担うようになってから
たとえ対価が発生したとしても、
家事って大変!!!
ということを、娘たちは痛感するようになったようです。
また、家事をやるようになったからこそ気付き、積極的に行うようになったこともあります。
それは例えば、対価が発生しない家事のちょっとしたお手伝いや、私が忙しそうにしている時に、スーッと私のかわりに何かを片付けてくれたり。
そんな心配りができるようになって来ました。
もちろん家事の中心は私ですが、子どもたちが少しでも担ってくれるようになった今、私はとても助かっています。
やってもらったら「ありがとう」という言葉も自然に出るので、家族みんなにとっても良い効果が生まれたと感じています。
まとめ
子どもが不登校になると、誰もが一度は絶望感を味わうものだと思います。
私もそのひとりです。
しかし、母親である私自身の視野を広げ、様々な角度から見るようにしてみたら、その感覚は私のもとから少しずつ去って行きました。
もちろん様々な家庭環境があり、与えられている条件は人それぞれ。
みんなが同じ方法で、良い方向へ進めるだなんて、微塵も思っていません。
とは言え!
絶望の中で生き続けていたらかと言って、事態が好転するとも思えません。
だから私は色々な人のブログや書籍を読み、たくさんの考え方や捉え方に触れることで多くのヒントを頂き、自分の視野を少しずつ広げてくることができました。
「自ら不幸になる選択はしない」を合言葉に、これからも発信を続けて参ります。
それでは皆様ごきげんよう!