昭和の一人っ子|マイノリティは理不尽な立場に立たされることが多い

記事内に含まれている広告では、私が実際に使ってみて良かったものをご紹介させて頂いております。

ご訪問くださりありがとうござます。

もりー
もりー

一人っ子の、もりーです。

今日は一人っ子とマイノリティについて書いてみようと思う。

このテーマで書いてみようと思ったキッカケは、こんなことを考えるようになったらだ。

🔻こんなこととは

  • 親の介護が必要になったとき、兄弟がいる方たちは、どんなふうに協力してやっているのかな?
  • 昭和の時代の一人っ子って、マイノリティだったよなぁ・・・

ということ。

まずはじめに、私と私の両親の生まれた年を基本情報として記しておくことにする。

  • 父 昭和23年(子年)
  • 母 昭和26年(卯年)
  • 私 昭和58年(亥年)

私が一人っ子になった理由

私の両親は、子宝になかなか恵まれなかった。

母が結婚したのは23歳

しかし、出産したのは32歳の時だった。

つまり結婚後の丸9年間、母は身ごもることがなかった、ということである。

どうしてもどうしても、子どもを諦められなかった母は、数年間の不妊治療を受けた。

そして運良く、やっとやっと授かった念願の赤ちゃんが、私だったのである。

当時、車を運転できなかった母は、バスと電車を乗り継いで、雨の日も風の日も大学病院まで通ったそうだ。

母からは

後にも先にもアナタしか身ごもることはなかった

と聞かされている。※流産の経験もないらしい

この時代の子どもがいない夫婦は、かなりのマイノリティだったのではないか、と思われる。

母も相当に肩身の狭い思いをし、理不尽な扱いを受けたに違いない。

昔の不妊はしばしば、女性のせいとにされていたようだ。

しかしうちの場合、実際には母だけに原因があったわけではなかった。

当時の母の気持ちを思うと、私の胸がちょっと痛む。

というわけでここまでが、私が一人っ子である経緯だ。

昭和の一人っ子|母の子育てと努力

昭和の一人っ子は、これまたマイノリティだった。

もりー
もりー

地域性もあるのかな?

そして少なからず偏見もあった。(と私は思っている)

日本全体のことはまったくわからないが、少なからず私の周りは、間違いなくそういう価値観だったのだ。

偏見の具体的な例として、

  • わがまま
  • 甘やかされて育ってる
  • 何かにつけて「一人っ子だからね」と言われる

など。

昭和生まれの人であれば、ほとんどの人が聞いたこと(もしくは言ったこと)があるセリフではないだろうか。

このような過去を振り返りながら私は、

事実偏見の間には、大きな乖離がある

と確信している。

なぜなら、わがままとか甘やかしなんて、兄弟がいる人でもいくらだって当てはまると思うからだ。

わがままも甘やかしも、ひとつの条件だけで決められることではない。

だいたい一体、それを正しく誰が評価できると言うのだろうか?

「一人っ子だから」と決めつけられるのは、今考えてもまったくもって不愉快だ。

10代後半のわたし

新しい出会いがあると大概、「兄弟いる?」という類の話題が上がるようになる。

そんなとき、10代後半の頃の私はすぐには答えなかった。

答えない代わりに、「いると思う?」と質問返しをしていたのである。

なぜそんなまわりくどいことをしていたか、って?

「一人っ子だよ」と言った瞬間の、相手の反応を見ることに対して苦手意識があったから

なのだと、今ならわかる。

と、こんな私だが、友人からの反応は決まって

男兄弟がいそう

と言われることがかなり多かった。

そして、私自身、この反応には我ながら納得だった。

現代にこんなことを言うのは憚られるが、どちらかと言うと、私には女性的な雰囲気は少ないのだ。

何より、当時のわたしは「一人っ子っぽい」と言われないことに、ものすごい満足感を得ていた。

なぜなら、

私が一人っ子ということで出来るだけ苦労しないようにと、母がとても努力していたことを知っていたから

である。

余談だが、昭和の時代は幸いなことに、近所に子供がいっぱいいた。

かくれんぼなんかは、相当広い範囲で楽しんだ。

物心ついたときから、私の家にはしょっちゅうお友達が来てくれていた。

今思えば、母は本当に大変だったと思うし、改めて尊敬する。

母はこのように、一人っ子である私が引け目を感じないように、人に揉まれながら育つようにと、とても努力してくれていた。

それ故に私は、「男兄弟がいそう」と言われた時には、母の努力が報われたような気がして嬉しかったのだ。

こうして当時のことを思い出すと、私のこと受け入れてくれた友人の両親や、地域の大人たちにも、ありがたい気持ちでいっぱいになる。

昭和の時代|価値観の違い<コミュニティ

私はひどい人見知りだった。

よそのおうちに遊びに行ってもすぐには馴染めず、私はぐずぐずぐずぐず泣いてたらしい。

ある日のこと。

一緒にいた他のお母さんが私の母に、

(私のことを) 叩いてやればいいんだよ

と言い放った、という案件があったそうだ。

そのお母さんに、悪気などは決してない。

キモったま母ちゃんみたいな、そういうキャラのお母さんなのだ。

その人の言い分としては、

ぐずぐずぐずぐずさせて甘やかしてるからいつまでも人見知りなんだ

という感じだったようだ。

その時の母は、それはそれは大きな衝撃を受けたらしい。

ショックを受けた母は、私を連れて帰ってきたそうだ。

もりー
もりー

その時の光景を想像するだけで、切ない。。

しかしその後の母は、その方たちとのお付き合いを続けたのである。

つまり母は、

『コミュニティから外れる』ということを選ばなかったのだ。

それは母自身のためにも、私のためにも。

我が家は完全なる核家族家庭だった。

おじいちゃんとかおばあちゃんもおらず、親戚も近くには全くいなかった。

つまり母は、子育て支援センターも、SNSもない時代に、ワンオペ育児をしていたのである。

この時代に、地域のコミュニティから外れることは、今では想像がつかないくらい、大きなリスクを背負うことになったのではないだろうか。

コミュニティに属していると色々あるものだが、そんな中でも折り合いをつけながら、中の人たちと仲良く付き合っていた母の様子は、今でも私の記憶にはしっかりと焼き付いている。

相手との価値観が違うからと言って、さっさと相手のことを遠ざけるのではなく。

価値観が違うというデメリットを受け入れつつ、自分たちが地域で心地よく生きていけるようにするために、母は母なりの選択をしたのだ。

価値観が違うことはある程度飲み込んで、相手の価値観も受け止める

これがこの時代を生きた、子育てをする女性たちの処世術だったのかもしれない。

居場所|昭和と現代の大きな違い

これまで述べてきたことは、スマホがない時代の、母たちの惜しまぬ努力や工夫の様子である。

ものすごい苦労もあったはずだ。

今では考えられない。

とは言え、現代の母たちが抱えている苦労も負けていない、と私は感じている。

たとえば、

  • SNSで居場所があっても、リアルでは居場所がない
  • SNSで居場所を見つけたはずが、価値観の違い等によって簡単に排除されたり

など。

じゃぁリアル世界に目をやってみると、意外とSNSと同じ感覚で、

価値観が合わなければ地域に根ざす努力はしない

という方も珍しくない様子。

つまり、

自分の居場所はどこなんだろう?と迷走しやすいのが、現代の難しさ

なのではないだろうか。

一人っ子|現代と昭和の違い

現代の一人っ子はもはや、マジョリティとまでは言わずとも、少なくともマイノリティではなくなってきたように思う。

ところで、現代の一人っ子に対する偏見はまだ残っているのだろうか?

ここで昭和と現代の一人っ子の大きな違いをまとめてみることにする。

昭和|やむなく一人っ子

昭和の時代の一人っ子にはだいたい、何らかの理由があることが多かったように思う。

親があえて一人っ子を選んだのではなく、結果的にやむなく一人っ子になったというパターンが多かったのではないだろうか。

その理由としては

  • 不妊
  • 経済的な事情

などである。

昭和の時代は、不妊治療も現代ほどは進んでいなかったはずだし、望んでも望んでも無理だったという御夫婦も多かったのではないかと想像する。

現代|背景はさまざま

一方で、現代の一人っ子には、さまざまな背景があるように見える。

もちろん昭和と変わらず、不妊や経済的な事情も多いにあると思うが、上記の条件は満たされている御夫婦でも、あえて一人っ子を選択していることも珍しくはないと、個人的には感じている。

マイノリティはいつの時代も理不尽な思いを抱えて生きている

私は現在、父が介護を必要とするようになった。

親世代が介護期に入ってきた今、一人っ子に対する人々の意見はずいぶん変わったなぁ、と感じるようになった。

  • 一人っ子だから揉める人がいなくていいね
  • 一人っ子は気楽でいい

というようなご意見も見たりする。

つまり、兄弟で悩まれている方にとって、「一人っ子は楽でいいな」ということなのであろう。

「兄弟なんていなかったらよかったのに」ってね。

一人っ子がイメージする、親の介護でもめる姉妹。

実際に、おおっ広げにはできないような事情を抱えていたりして、実際そのような心境に至る方もいらっしゃることは想像ができる。

しかしここではあくまでも、ごくごく普通の家庭を前提としている。

一人っ子は一人っ子で、幼少期の頃から偏見や兄弟がいない寂しさなどで、それなりに苦労をしながら生きてきた。

少なくとも、私はそうだ。

大人になったらなったで、親が介護期に入ると、その状況はもうちょっと深刻になる。

どれだけ福祉制度を利用したとて、親にとっては私しか頼る人はいないのだ。

私の中にも『両親には私しかいない』という意識がずっとある。

これについては物心ついた時からずーーーっと、だ。

親がこんなことを刷り込んだつもりがなかったとしても、一人っ子というものは想像以上に背負っているものが多くありそうだ。

そんな昭和時代の一人っ子は、マイノリティである、という意味でも苦労が多かったように感じる。

私は幼少期の頃から、マイノリティの立場を経験することが、決して少なくはなかったのかもしれない。(現在進行系)

だからこそ私は、様々な場面において、考え抜く機会を多く与えられていたようにも思う。

そしてやっぱり感じることは、マイノリティは理不尽な立場にたたされることが多い、ということである。

ここで話の焦点を、マジョリティに当ててみることにしよう。

マジョリティの場合、自分自身がマジョリティであることは、ほとんど無自覚なのではないだろうか。

私はマジョリティです

というセリフを、私はほとんど聞いたことがない。

そう言えば、マイノリティを経験せずに一生を終える人はどれくらいいるのだろうか?

立場というものは、あっという間にひっくり返ったりするものだ。

今日はマジョリティでも、明日にはマイノリティになっているかもしれない。

自分の置かれている立場というものは、それくらい脆いものなのだ。

多数派の中で安心しきってしまわないようにだけは注意したいものだ。

群れの中の茹でガエルにならないように

マイノリティとマジョリティ|マイノリティ側で得られる経験は貴重かもしれない

マイノリティでもマジョリティでも、自分自身を俯瞰して見てみることは大切なことだと思う。

しかし、立場というものに依存しすぎて、状況が変わった時に順応できないのは困る。

とは言え人は、多数派の中にいるとついつい安心してしまうものだし、少数派になった途端に生きにくくなるというのが現実なのではないだろうか。

じゃぁどうしたら良いのか。

私なりの結論だが、

ひとまず、マイノリティの立場での経験はじっくりと味わっておこう

ということ。

マイノリティは希望したからと言って、なれるものではない。

それから、マイノリティは厳しい人生になりがちだが、それでも、その世界だからこそ見えることやわかることもたくさんあることを知った。

得られることも、知り合える人も、幅がものすごく広がるのだ。

一方で、求めている情報にたどり着くためには少々苦労もするので、自分のアンテナも鋭くなったような気がする。

思えば私は、理不尽さを感じながら生きる人生の中で、他責思考のほとんどを手放すことができたように思う。

これはマイノリティ人生で私が得ることのできた、大きな副産物のように思う。

みなさんは、マイノリティとマジョリティ、どちらに身を置くのがお好みですか?

マイノリティとマジョリティ

一度考えてみると、面白いかもしれません。

もりー
もりー

それではみなさまごきげんよう!