ホームスクーラーの朝時間|こどもたちと楽しむ朝ごはんの盛り付け大会

記事内に含まれている広告では、私が実際に使ってみて良かったものをご紹介させて頂いております。

 

ご訪問くださりありがとうございます。

自閉症スペクトラム姉妹の母で、ホームエデュケーションを実践しているもりーです!

7月12日、金曜日。時刻は5時37分。

昨日は何がキッカケだったのかは分からないが、朝から『朝食の盛り付け大会』が始まった。

娘たちが発端だったのだが、母である私も思わず参戦!

参戦するからには!と、私はムキ(本気)になって取り組んだ。

そんなホームスクーラーである もりー家のある日の朝ごはんの様子と、食事に関する私なりの信念を、今日はお伝えしたいと思う。

少食次女、味重視の長女、こなれ主婦の盛り付け競演

それぞれが盛り付けたおかずは、冷蔵庫の中に入っていた常備菜たちである。

まずは完成図から。

盛りつけ後の様子

どこからともなく発生した盛り付けのテーマは、

いかにおしゃれに盛り付けるか

である。

3人のなかで、特に見た目にこだわるのは次女だ。

そんなわけで、まずは次女の様子からご紹介していくことにしようと思う。

 

見た目重視|少食次女(10)の盛り付けアート

次女が盛り付た朝ごはん

次女が使用したメインのプレートは、大きめの角皿

少食な彼女にしては、かなりボリューミーな朝ごはんである。

というのも、彼女は少食なのだ。

普段は「残さないように」と、慎重にごはんをよそる。

そして足りなければおかわりをする。

今回はおそらく、盛りつけに夢中になってしまったのだろう。

案の定、食が細い彼女は

ちょっと手伝ってもらってもいい?

と言いながら、食べかけの味つけ卵を私によこしてきたのであった。

 

味重視|しっかり食べる長女(13)の美味しさ追求の盛り付け

見た目も多少は気にするが、それよりも断然、味を優先するのは長女である。

長女が盛り付た朝ごはん

ごはん大好き!しっかりと食べる長女にしては、最初にチョイスした器が小さい

見積もりをミスったようで、おてんこもりもりの朝ごはんが、小さなうつわの中でひしめきあっている。

母

長女は通だなぁ…!!

と私が感心した点は、味付け卵に調味料をちょい足ししていたこと。

私が雑貨屋さんで見つけた調味料

私も長女のマネをしてやってみたが、ほどよい味変が良い刺激となり、とても美味しかった。

誰かと一緒に食事をすると、自分では思いつかないような発見があったりするから、ほんとうに面白いものである。

これもまた、家族と一緒に食卓を囲む醍醐味だなぁ・・・と感じる。

長女はしっかり完食!

 

節約重視|こなれ主婦 (41)のいつもの盛り付け

私はあえてワンプレートにはせず、味つけ卵と茄子南蛮で丼物に仕立てた。

私の朝ごはん

ちなみに、野菜が乗っている丸いプレートは、長女が4年生の頃に学校の授業に便乗して作ったものだ。

『便乗して作った』というのは、

その頃学校に行けていなかった長女は、先生のお誘いを受け、自宅で皿だけ作らせてもらった

のである。

先生は「全員分の作品を窯まで持って行かれる」とのことだったので、長女の意思を尊重し、作らせていただいた次第だ。

こうして見ても、なかなか味があって素敵だなぁと思う。

 

特別なことは必要ない|こどもたちのシンプルな幸せ

「失敗したー」だの、「いい感じじゃない?」だの、ワイワイガヤガヤと楽しむ朝ごはんは、元気な1日をスタートさせる時間となったことは間違いない。

このような時間をもてることは、間違いなく、ホームエデュケーション中ならではだと思う。

最近私はこんなことを考えるようになった。

現代は、食事を食べることが目的化してはいないだろうか?

もしくは、

「食べなくてはならない」と、義務感にさいなまれながらしぶしぶと、食べ物を口に入れている子どもたちも珍しくはないのではないだろうか?

しかしそれでは、

という行為を半ば機械的に行っているだけになり、食事を味わうゆとりも、食事中に会話を交わすゆとりも、ましてや食事を楽しむゆとりなんて皆無になりかねないと思うのだ。

さらに私は私は問うてみている。

私には、ずーーーーっと前から思っていることがある。

それは、

子どもたちは特別なことは何も望んていない

ということだ。

  • 両親が穏やかで
  • 清潔な住居と衣服があり
  • 普通の家庭料理が食べられて
  • 自分の話を親に聞いてもらい
  • 自分が見てほしいことを親に見てもらう

こんな取るに足りないようなささやかなやりとりを、子どもは望んでいるのではないだろうか?

将来のことなど、誰にもわからない。

ましてや、この激動の時代だ。

未来が不安だからこそ、わからない将来に向かって がむしゃらに 突っ走るのはもうやめて、今の幸福感を大切にすることが必要なのではないだろうか。

そんなことを痛く感じる今日このごろである。

私はこれからも、子どもたちと囲む食卓を大切にしたい。

1日1度、朝昼晩のどこかだけでも良いから、そうしたいと強く思っている。

そして娘たちも、きっと同じように望んでいるはずだ。

いつかわからないけれど必ず、毎日一緒に食卓を囲めなくなる日がくるのだから。

期限付きの日々であるということを忘れずに、私は日々のコツコツを楽しんでいきたい。

もりー
もりー

それではみなさまごきげんよう!