感覚過敏の次女|しまむらで最高のお買い物!

記事内に含まれている広告では、私が実際に使ってみて良かったものをご紹介させて頂いております。

ご訪問くださりありがとうございます。

もりー
もりー

自閉症スペクトラム姉妹の母で、ホームエデュケーションを実践しているもりーです!

7月8日、月曜日。時刻は21時47分。

今日はとにかく暑かった。

昨日もとにかく暑かった。

納屋の2階部分に居住空間があるわが家は、冬は暖かいのだが、夏はほんとうに暑い。

エアコンを19℃設定にしているのにもかかわらず、室温は29℃を平気でキープする。

扇風機もサーキュレーターもフル稼働しているのに・・・!

今年はベランダにサンシェードを取り付けるつもりだ。

目下の心配事は、愛犬の体調である。。

感覚過敏の次女|夏のフリース素材のスリーパーをついに卒業?!

今日はふらりとしまむらに立ち寄った。

普段、感覚過敏の次女が服屋に入ることはあまりないのだが、今日はたまたま一緒にいたということもあり、しまむらの中をウロウロと一緒に歩き回った。

そんななか、私好みの黒いワンピース(大人用Mサイズ)を見つけた。

もりー
もりー

これ、かわいい!!

と言って手にとってみると、意外にも次女が

あ、ほんとだ!かわいい、いいねー!!

と言った。

我々親子にとって、このような展開は珍しい。

なぜなら。

私と次女の洋服の好みは似ていないから

である。

しかし今回のこの一着に限ってはそうではなかったので、

母

せっかくだから買ってみたら?

母

もしアナタが着られなければ、ママが着るから大丈夫だよ!

と提案をしてみた。

私がこのような提案の仕方をしたのには、意味がある。

次女は自分が選んだ服が着られないという経験を多く重ねており

  • やっぱり着られない、という落胆
  • また服を無駄にしてしまった、という罪悪感

を抱えてしまいがちなのだ。

だからここは少しだけ、慎重になる必要があった。

必要以上に失敗体験をさせる必要はどこにもないのだから。

すると次女は意外にも、そしてすんなりと、

そうだね!買ってみようかな!

夜、お風呂から出た後に着るのに良いかも!!

ということで、購入に至った。

ここで念の為に書き記しておくが、数回着ているうちに着られなくなっていく服があるということが、これまでに何度もあった。

つまり、

試着があてにならない、ということもある

ということを強調しておきたい。

 

感覚過敏の次女のナイトウェア|夏でもフリースを選ぶ理由

先で少し触れたが、感覚過敏の次女のナイトウェアは、これまでずーーーっと

フリース素材のスリーパー

である。

もう何年もずっとそうなのだ。

おそらく夏は暑いだろうと思うのだが、ずっとそれを着続けている。

とにかく、感覚的に受け入れられる素材やカタチが少ない。

これが次女が抱える感覚過敏の現実なのである。

そんな次女がついに!

今日は新たなナイトウェアに出会えた(かもしれない)のだ。

かもしれない、というのは、数日着てみて着られなくなる可能性もあることから、あえて(かもしれない)と書いている。

だとしても、だとしてもだ!

今日の次女の嬉しそうな顔は、とても輝いていた。

「涼しい!」と言っている彼女の表情は、久しぶりに見た清々しい笑顔だった。

好きなものを着られるという“自由”は、人をこんなにも生き生きとさせるものなのか、

と改めて思い知った出来事だった。

 

自由・不自由|快・不快

夏の暑さにもかかわらず、感覚過敏の次女にとってフリース素材のスリーパーは心地よい選択なのであろう。

これを『他の素材を受け入れられない』と捉えてしまうと、とても不自由に感じられるかもしれない。

実際そうなのかもしれない。

しかし

彼女にとっての『快』を優先した結果が、夏でもフリース素材のスリーパーなのである。

ここに大人が注意すべきヒントが隠されていると思う。

それは、

「暑いからこっちの方が良いのでは?」という感じで、しつこく提案したり、指摘したりすること

あくまでも感覚というものは、本人にしかわからないものなのだ。

悔しいけれど、親でさえもわかってやれないのが感覚なのだ。

そう思うと、大人側の一方的な感覚の押し付けはむしろ、子どもにとっては『不快』でしかないはずだ。

更には“不自由”を感じる要因となり得るだろう。

感覚過敏のむつかしさは、そこにあると思っている。

感覚的なことは本人にしかわからない、ということを改めて肝に命じて、

たとえ我が子であったとしても、ずかずかと相手の感覚の領域に入っていくことをしてはならない

と、自戒を込めてここに書き記しておくことにする。

障害がある子どもと暮らしていると、他の人にとっては当たり前のことでさえも、わが家にとってはスペシャルな出来事となることを痛感する。

今日は次女の喜ぶ顔が見られ、ほんとうに良い1日となった。

もしも、今日買った服が着られなくなったとしても・・・

次女にとって今日の体験は、悪い積み重ねにはならないはずだ。

 

もりー
もりー

明日もきっと良い日にしよう!

 

次女が1年365日履いている草履