こんにちは!ホームスクーラーの もりーです。
まずはじめに。
アイキャッチ画像に設定したドアは、リビングに設けた狭小こども部屋の入り口です。
※夫が自作しました
姉妹の距離感を適度に保つための環境設定の1つとして、このような形ができあがりました。
結果としては『すごくいい』です。
『不登校』という言葉のイメージは、ネガティブな方に傾いていることは、想像に難しくありません。
かつての私がまさにそうで、
不登校になってしまったらどうしよう・・・
と、勝手に怯えていました。
しかし、親のそのような強い不安は、知らず知らずのうちに、子どもたちにプレッシャーをかけることに。
子ども達と散々向き合い、紆余曲折を経て、ついに私はホームスクーリングに切り替えることを決意!
2022年12月のことでした。
ホームスクーリングのメリット3選
大前提として、家族全体のQOLが向上したことを、先に添えておきます。
1. 子どもの自己肯定感の低下を食い止めることに成功
親が思っている以上に、不登校の子どもたちは、罪悪感や負い目を抱えているものです。
我が家の場合は、ホームスクールに切り替える前から、
「学校には行かなくても良い」というスタンスをとっていました。
一見、問題のない対応に見えるかもしれませんが、現実はそうではありませんでした。
学校に行かない娘たちは、
1日の終わりになると「今日も行けなかった」と、い心にモヤを残す日々を過ごしていたのです。
表情も、なんとなく冴えない日々。
自宅で過ごしているのに、なぜそのような状態だったのか?理由が解ったのは、随分あとになってからのことでした。
行っても行かなくても良い。
これは聞こえは良いけれど、はたして本当にそうなのか?
ここでのポイントは、
選択権は娘たちにある
ということ。
母親である私は、良かれと思って娘たちに選択権を預けていたわけですが、
それと同時に重荷も預けていたのだ
ということに、やっとこやっとこ気がついたのです。
ついに一念発起!ホームスクーリングを本格的にスタート
私がホームスクーリングに切り替えると決断したときから、娘たち(特に次女)の顔が、どんどん明るくなって行きました。
後に次女がこう語ってくれました。
ママがホームスクーリングをしてくれたから、私たちの居場所ができた
と。
中途半端に学校に通っていた頃はやはり、同級生の誰かと自分の違いを目の当たりにすることが多く、ストレスばかりを持ち帰ってきていたように思います。
しかし今は違います。
毎日が笑顔で、心にも余裕が見られ、とても幸せそうに生きています。
自分の障害特性を受け入れ、その強みも、そして大変さも味わいながら、
のびのびと今を生きています。
2. 母の負担が大幅減
学校に通っていた頃は、毎日車で送迎していました。
かつ、
したがって、母の午前中は学校のことでなんとなくつぶれてしまう・・・というような日々。
娘たちが葛藤しているのに、母の都合を押し付けるわけにはいかない・・・
当時の私はこんな風に考えていたので、子どもたちの学校の都合に合わせることを、かなり優先していました。
とは言え、私に外せない用事があるときだけは、そのときの状況に応じて折り合いをつけながらやり過ごしてきました。
このときの私のやり方が良いか悪いかは別として、
しかし
不登校は母の負担も相当大きい!
ということは1つの事実として確実にあります。
今思うと、緊張状態の日々でした・・・。
3. 本気で生きる母の背中を間近で見ることができる環境
今年から私は、自宅でリトミック教室を運営しています。
これはもちろんいきなり始めたわけではなく、何なら7年前に学び始めたときから、夢に向かってコツコツと歩んできたつもりです。
7年前はまともな対話などできなかった娘たちも、今では私の強い味方となりました!
私のしごとに見事な協力体制を示してくれている娘たち。
おしごとをする喜びや、準備や始末の大切さなどをいつもそばで見て、娘たちなりに多くのことを感じ取っているようです。
そこから生まれる対話はもはや、相手が大人同然になってきました。
あなたならどう思う?
と、娘たちの考えや意見を聞いてみることも出てきたほど。
「子どもだからわからない」なんて決めつけは不要だし、子どもだからこその視点もある。
それに何よりこうした子どもとの対話は、
自分の存在価値を認める大きなチャンスになる
と、私は確信しています。
まとめ ~もがき尽くした後に待っている未来~
不登校からホームスクーリングに切り替え、生活の質が大きく向上したことは間違いありません。
とは言え、不安がまったくナイわけではありません。
それでも、私は子ども達と良好な関係性を大事に育んで行くことの方が、私にはずっとずっと重要なことに思えるのです。
子どもは大きくなればなるほど、悩みの根も深くなっていくものです。
手はかからなくなって行くのと同時に、やもすると、いつしかお互いの心の距離も遠くなり、その距離を取り返すことすら困難になることもあると思います。
「うちの子に限って」「こんなはずじゃなかった」というセリフは何の役にもたちません。
世の中で起こっていることは、いつ自分が当事者になってもおかしくないのです。
不登校に対してはまだまだ偏見もあるし、勝手にレッテルを貼られることもあるかもしれません。
しかしそのレッテルや偏見の多くは、
当事者意識のない人達の中から生まれるものではないでしょうか?
みんながわかっていることだけれど、子育てに正解なんてどこにもないのです。
だからこそ、苦しい。
しかし、その苦しみの中でもがき続けている間に不要な思考を手放せさえすれば、もがき尽くした後は、清々しい気持ちで軽やかに生きて行けるのかもしれません。
不登校から得られる学びは、本当に深い!
というわけで、最後までお読み下さりありがとうございました。
それではみなさまごきげんよう♬