ASD姉妹の“御仏前”エピソード:尊い心の贈り物

記事内に含まれている広告では、私が実際に使ってみて良かったものをご紹介させて頂いております。

こんばんは!

子育てに奮闘された保護者の皆さま、お疲れ様でございます。

自閉症スペクトラム姉妹の母で、ホームエデュケーションを実践しているもりーです!

本日は8月6日 火曜日、時刻は21時02分。

買い出しやら 車の点検やらに出かけており、クタクタな夜。

クタクタと書いていながら、こんなことを書き添えるのアレなのだが、実はガッツリ昼寝もしている・・・・。

虚弱体質である自分が時々恨めしくもなるが、

努力と工夫と気合でどうにもならないこともある

ということを心から理解できるようになったのは、紛れもなくこの体質のおかげでもある。(と思えるようになった)

1日のおわりにこうして、最後の力を振り絞ってブログを書けることは、ほんとうに感謝すべきことだし、何より、私自身の自信となり蓄積されていくことを感じている。

もりー
もりー

できないことに執着せず、できることに力を注いで行きたいな

ASD姉妹が用意した“御仏前”:自然と育まれる弔う気持ち

先日、私たち親子はシャトレーゼに行った。

その目的はずばり!

『御仏前』である。

私はそのとき、セルフ詰め合わせ的なことをやってみたのだった。

セルフ詰め合わせとは、自分で箱やラッピング袋を選び、そこに好きなお菓子を詰め合わせる、というようなサービスのこと

余談になるのだが、実は私はかつて、シャトレーゼでアルバイトをしていた。

もう18年くらい前のことではあるが、あの頃の経験が蘇り、とても楽しい時間であった。

シャトレーゼ編:長女が用意した“御仏前”

話を戻すと・・・

そんな私の姿を見ていた長女が、なにやら小さな箱に詰め合わせを始めた。

そしてそれを持ってレジに並んだ。

どうやら長女は

誰にあげるかは決まっていなかったけれど、詰め合わせセットを作ってみたくて実行に至った

ということらしかった。

結局、購入した詰め合わせセットは、私の亡き父にあげるということに決まったらしかった。

そして長女は帰宅後、御仏前の熨斗を作った。

手作りの熨斗を購入した詰め合わせセットに貼り付けて、じいちゃんの仏壇にお供えしたのであった。

私はこれを見て思った。

手作りの熨斗に、人をこんなにも温かい気持ちにさせる効果があったとは・・・

と。

ちなみに、子どもが手作りした熨斗を見たのは、人生初のことであった。

イオン&ダイソー編:次女が用意した“御仏前”

そして本日、長女の姿を見ていた次女も、おじいちゃんの“御仏前”を用意した。

次女はダイソーで小さな箱を購入した。

それはおじいちゃんにお供えする“御仏前”の箱である。

そしてイオンで、その中身を購入した。

購入品はどちらとも、次女自身のおサイフからお支払いをしている。

亡き祖父のために、一生懸命、そして心から楽しんで買い物をしているように見えた。

そして次女も長女に習い、“御仏前”の熨斗を作った。

ダイソーで購入した箱と手作りの熨斗

iPadで熨斗を調べて、よーく見ながら描いたらしい。

リアルに再現された熨斗がまた、とてもしっくりときている。

名前も記入済みで、あとは初盆のときにお供えするだけだ。

娘たちの様子を見ながら私は、

母

娘たちは、なんて貴重な体験をしているんだろう・・・

と、手前味噌ながらも素直に思った。

誰かが教えたわけでも、指示したわけでもないけれど、自然と手を伸ばした娘たちの行動からは、気付かされることが多くあった。

親は死んでからも、何かを伝え続けてくれる存在である

娘たちが父にお供えしたいと思えるのは、

まぎれもなく生前の父のおかげである

ということは間違いない。

だって、孫に対して横柄な態度で振る舞ったりしていたら、ただのクソジジイになってしまいそうじゃない?

と、私なんかは思ってしまうのだ。

私の父は温厚な人だったので、孫にとっては無害な存在だった。

べらべら喋るわけでも、どこかに連れていってくれたわけでも、お金をいっぱいくれるわけでもなかったけれど。

実家に行くといつも、父は同じ場所にそっと座り、いつもだいたい同じテンションで過ごしていた。

自閉症スペクトラム障害がある娘たちにとって、そんな父の自然な振る舞いは、とてつもなく心地が良かったに違いない。

不登校や発達障害に対する世の中の風当たりは決して弱くはない中で、父はいつでも同じだった。

父は人が穏やかに過ごせることを、何よりも大切にしていた人だったと思う。

そんな父だったからこそ、娘たちにはきっと、おじいちゃんへの思いがそれなりにあるのだろう。

もうちょっと噛み砕いてみると、

「大好き」という振り切った愛とはちょっとひと味違う、

“ほんと穏やかな人だったなぁ”と噛み締めたくなる、穏やかな愛

という感じだろうか。

私からの父への贈り物

私は亡き父に、ひとつの贈り物をした。

それは、おりん、である。

美しいものを好んだ父に、私が選んだのは『チェリン』という名前の可愛らしいおりんだ。

コンパクトなお仏壇にもピッタリな大きさで、なんと言っても音色が美しいのだ。

他の商品とも悩んだのだが、私がこの『チェリン』にした決め手は

おりんを鳴らすためのおりん棒が、おりんの真ん中の穴に収まる

ということであった。

しかも、鳴らしてすぐに おりん棒 を収めても、音が途切れることはないというスグレモノなのである・・・!

残された者(母)にとっては毎日聴く音となるわけで、その音が母に与える影響はバカにできないと、私は本気で信じているのだ。

そして私自身、亡き父を思いながら おりん を選ぶ時間が癒やしの時間になったことは、言うまでもない。

 

今日も1日が無事に終わろうとしています。

感謝です。

それから、毎日6:45頃からstand fm.でお話しています!

明日もお話しをするので、気になる方はお気軽に遊びにいらしてみてください♪

それでは、明日もきっと良い日にしよう!

おやすみなさい。

もりー

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