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ホームエデュケーションを実践している もりーです!
今、私はリビングの食卓で、PCのキーボードをパタパタと叩いている。
目の前には、準備し終えた夕食のおかずが2品。
当然だけれど、良い香りが漂ってくる。
今日作ったおかずは、サバのムニエルと、ズッキーニのにんにく炒め。
6月13日、木曜日。時刻は17時38分。
お昼ご飯の片付けを済ませた後にそのまま、晩ごはんの準備に取り掛かる
というのが最近の私の日課だ。
何でも、先手先手がいいものだなぁ・・・と、心から思う。
後手後手にして良いことなんて、ほんとうに少ないのではないだろうか。
それでも、後手後手にしやすいのがまた、人間という生き物なのかもしれない。(もちろん!自分もふくめて)
ASD次女が眠れない|まずはとにかく散歩で解消を試みる
最近次女が夜になると、すんなりと入眠できないようだ。
以前の次女は、すーーーーっと入眠してしまい、中途覚醒も滅多にないタイプだった。
一方で長女は、「眠れない」と訴えてくることはしょっちゅうあったのだけれど。
次女が眠れない原因。
あるとしたらなんだろう・・・・?と考えてみた。
そうしていると、私の中にひとつのヒントがおりてきた。
それは
運動不足。
うちには犬がいるので、私たちにとって、朝晩の散歩は日課である。
暑くない季節であれば、毎日2~3kmくらい歩く。
ところが。
最近は、暑いのだ。
しかも7歳半の我が愛犬は、まっくろの黒犬である。
加えて、中年も終盤近くを迎えた我が愛犬は、朝からものすごく気だるそうにして、歩かないのだ。
連れ出しても、「もうここら辺で終わりにしとくか」と言わんばかりに、いつも同じような場所で立ち止まり、私に訴えかけてくる。
なんなら、門から一歩も出ない日もある、というくらいの筋金入りだ。
それに確かに。
夏の太陽は、ブラックコートにはかなりきつい。
というわけで、我々は毎日毎回犬と相談をし、
ベリーショートカットで散歩を済ませてくる、
という数日を過ごしていたのだった。
そうだ。きっと、原因はこれだ。
これしか思いつかない。
ほぼそう確信した私は、人間の運動をするべく、人間だけで散歩に出かけることを提案。
娘たちは二つ返事で「いくいく!」と言った。
今日の私たちの持ち物は、
- 水筒1本
- マモリーノ(キッズ携帯)
- 一眼レフ
広大な水田の中を、五感を研ぎ澄ませて歩く
今の時期の田園地帯は、とにかく水が豊かだ。
用水路を通っている水は、高所から低所に向かって常に流れ続けている。
あちらこちらから、様々な水流を感じさせる水の音が聴こえてくる。
私はこの音と光景が、とにかく大好きだ。
「この土地に嫁いで来てよかったなぁ・・・」と、心から思える時も、こういう場所に身をおいているとき。
散歩をしている私は、とにかく寄り道が多い。
なにせ、草花が大好きなものだから、「お、これがもう咲いてきたか!」とか言いながら、いちいち立ち止まる。
それから。
草花が好きなわりには、名前をすぐに忘れてしまう。
よほどインパクトの強い草花以外は、毎年調べては忘れ、を繰り返している。
それが私、なのである。
とにかくこうして眺め、日々の変化を楽しみ、カメラで写真を撮ることが大好きだ。
田んぼを覗いて見ることも、まだまだ面白いと思える。
農道を歩いていると、人々の野良しごとの “途中” に出会うこともある。
このような広大な田園風景の中を、途中、焦げたカリントウ(猫のうんち)をよけながら、私たちは歩いた。
私が目指した場所は、自然が残っている、藪
今日は『3km歩く』と決めていたので、私が向かう先は迷わず決まった。
私が目指した場所は、高台と田園地帯の境目となっている、藪。
藪の手前はひたすら農道となっており、その農道は藪に沿って、クネクネとずーーーっと続いていく。
私たちは藪の前に到着すると、農道に立って、藪の雰囲気を楽しんだ。
藪の前は、空気が違う。
ひんやりとしていて、未だに手つかずのまま残っている、貴重な場所という感じがする。
ここの中にはまだ、人間以外の生き物たちが暮らせる場所が残っていることが、なんとなく伝わってくる。
しかし、悲しいことに、4kmほど離れた藪は開拓されてしまい、ソーラー発電所が誕生してしまった。
おかげで、電柱などなかった場所に、電柱までもができてしまった・・・・。
過疎化が爆速で進むこの地域に、今さら電柱なんて増やして、一体どうすると言うのだろうか。。
それよりも、自然を自然のまま残してくれと、世間知らずの主婦は、心から願うのである。
話を戻すと。
この藪からも大きめの水路がガッツリ出ており、朽ちかけた太いパイプからは、ものすごい大きな音を立てながら水が流れ出ていた、
水しぶきも豪快に舞っていた。
決してきれいな水とは言えないが、私はなぜか、こういう光景を眺めていると落ち着く。
とっても涼しい。
ひんやりとしている。
ゴーゴーと大きな音はするけれど、うるさいのとは、違う。
高台との境目であるが故に、水路以外の場所からも、水がちょろちょろ流れ出ている。
ドクダミも元気だ!
そして私たちは今日ここで、立派なオニヤンマに出会った。
次女が「オニヤンマってきれいだね」と言った。
私もほんとうにそう思った。
私が目指した目的地の藪には、やっぱり今日もたくさんの自然が残っていた。
安心した。
そして、ものすごく清々しい気持ちになり、軽やかな足取りで、家路についた。。
帰宅後の朝食は、ものすごく美味しかった。
生きているという実感が、いつも以上にした。
歩くって大事だ。
これは人間活動の基本かもしれない
と、私は改めて思ったのだった。
ばあちゃんのマネをして作った、切り干し大根の煮物
わたしの祖母は、切り干し大根を煮るときに、あさりの缶詰など入れていた、と母から聞いていた。
ばあちゃんが作った切り干し大根の味は、私の記憶にはまったくない。
「あさりの出汁が出ておいしいんだよ」と母。
ついに昨日、言われた通りにしてみた。
ほんとうに美味しかった!
ご飯との相性も抜群。
娘たちも、よく食べる。きれいにアサリだけを取り除きながら。。
今日は特に、3kmの散歩のあとに食べる切り干しとご飯は、格別に美味しかった・・・・!
しあわせだ。
AM|手ごねパンを焼いた次女と、ピアスを作った私
オンライン英会話を終えたあと、次女が手ごねパンを作った。
次女がせっせとパンを捏ねているとき、私は細々と、ピアス製作に挑んでいた。
生まれて初めて作った、自分のピアス。
ヤットコを使いピンを丸める作業が難しかったが、数をこなすうちに、だいぶ慣れてきた。
めっちゃたのしかったー!!!!
そして何より “これからは自分でお直しもできるし、アップサイクルもできるなー!”と実感することができた。
この時の様子はまた、YouTubeでアップしてみる予定だ。
次女は次女で、レシピを見ながらコツコツと作業を続け、パン作りは順調に進んでいった。
出来上がったパンはものすごく美味しくて、本人も大満足だった様子。
台所育児を長いことやって来たが、いつの間にか娘たちはひとりでパンを作れるようになり、こうして家族に提供できるまでになった。
私にとって台所育児は、大変さや苦労はつきものだった。
それでも私が望んで続けてきたことが、台所育児。
ずっと続けてきて良かったと、今、心から思っている。
ここで台所育児のメリットについて書いておこうと思う。
子どもが料理をできるようになる
ことは、誰もが想像するだろうし、私もそれは当然のように、そう思う。
私はここに加えて更に、素晴らしいメリットがあると確信している。
それが、
料理を通した様々なコミュニケーションが、親子でできる
ということ。
このメリットについては、私が考えるよりもはるかに大きいような気がしている。。
10年前、長女と毎日のようにパン捏ねしていたときに使っていたレシピ。
このレシピでは、使用する油脂が少ないので、子どもの手がベタベタし過ぎないところが◎
新品では手に入らなかったので、中古で書い直したほどの、お気に入りレシピ本。
眠れた次女
「眠れない」と数日悩んでいたことが嘘のように、今日はすーーーっと入眠した次女。
しかもお昼寝もしてたのに・・・!
それにしても、よかった。
やっぱり運動は大切なんだ。
梅雨に入るまでの間、散歩強化月間として、可能な日にはたっぷり歩こう。
お散歩はタダだし、健康にも良いし、気分も良くなるし、やらない理由はひとつもない・・・!
現在時刻は、22時30分。
子どもたちは、グーグー寝ている。
私も今日はよく眠れそうだ。
あーーー、今日もたのしかった!!!!
明日もきっと良い日にしよう!
もりー