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自閉症スペクトラム姉妹の母、ホームスクーラーのもりーです。
今このブログを書いているのは、薄暗い寝室の自分の布団の上だ。
もう寝る準備は万端!
網戸で窓は全開、外からはカエルの合唱と虫の音が聴こえてくる。
窓からは、風がす~っと入り込み、そのたびに草が揺れる音も聴こえてくる。
あ。
飛行機が上空を通過している・・・!
一定じゃないエンジン音も、妙に生々しく響く。
夏を感じる、とてもとても気持ちの良い夜だ。
6月12日、時刻は20時42分。
ブログについて思うこと
最近、10年前のブログを書いていた自分の様子が、急に懐かしく感じることが増えた。
その理由を探ってみていたところ、ひとつだけ浮かんできたことがある。
それは、
誰かに何かを伝える目的をもたない、心からあふれる言葉を紡ぎたいんだな・・・
ということだ。
私が14年前からブログを細々と書き続けてきたことは、以前も記事にしたことがある。
私はAmebaで長年、その日にあった出来事や、感じたことなど、素直にあふれるままの言葉を紡いできた。
念の為に書き添えておくと。
12年前のわたしのブログなんて、誰が見てもなんの役にも立たないし、まったく面白くもない。
ところが。
私が自分で読んでみると、わたしの心が動くことに驚く。
過去の私がどんな気持ちで生きていたか、そして、私なりに頑張って生きていたことが、しっかりと伝わってくるのだ。
誰の役にも立たないし、面白くもなんともない、12年前の私のブログ。
それは誰のためでもない、自分のために存在していると言っても過言ではないくらい、私の何かを刺激した。
ワードプレスを立ち上げてから、約1年。
思えば、私の肩にはあまりにもチカラが入っていたのだなぁ・・・と気がついた。
ブログを書くことが好きで、好きだから続けてきたことのはずなのに、少しずつ出始めていた私の違和感。
それはきっと、
ブログに対するハードルを、自分で勝手にあげていたことによる違和感
だったのかもしれない。
もしくは。
どんな人に読んでもらいたいか?
どんな人に読んでもらえる記事を書くか?
そんな
ハウツー的な考え方にとらわれていた
のかもしれない。
それじゃあまりにもつまらないじゃないか!
それは私がやりたいことから離れてしまう。
しかし私は気がついたのだ。
気がついてほんとうに良かった。
ここからは少しずつ、軌道修正していけばいい。
先入観はすべて手放して、私からあふれ出てくる素直な言葉を綴っていこう。
理想は、できるだけ、毎日。
Amebaでブログを書いていた時のように、とりとめもないことも、堂々と綴っていきたい。
ホームエデュケーション家庭の、朝ごはんと昼ごはん
みなさまのご家庭は、ご飯派?それともパン派?
わが家はもっぱらご飯派!
最近は暑くなってきたので、こんな瓶詰めのご飯のお供を常備するようにしている。
どちらもさっぱりしていて、とっても美味しい!!!大好きだ。
瓶詰めの他には、
- なめたけ(自家製)
- 浅漬(エバラの素)
なんかも、わが家の冷蔵庫ではおなじみのおかずたち。
こんな調子で、お昼ごはんも炊飯器からご飯をよそって食べる日々だ。
私のお気に入りスプーン
以前は、娘たちがかわりばんこでパスタを作ったり、お弁当を作ったりしている日々もあった。
しかし今は、そしていつのまにか、
なんだかんだでごはんが1番おいしいよね~!
と、朝食のような昼ごはんに、すっかり落ちいついてしまったのである。
とは言え。
娘たちは相変わらず、パンやお菓子をしょっちゅう作っているので、日によってはそれがお昼ご飯になることも珍しくはないのだけれど。
こどもの不登校を受け入れてきた、母親の気持ちの変化
娘が不登校になりたての頃は、給食がない生活なんて考えられまなかった。
ましてや、ふたり揃って不登校になるだなって、悪夢じゃないかと思ってた。
でも、実際にそうなってみたら、
信じられないくらい穏やかな生活が回り始めたのだった。
お昼ご飯を毎日用意する大変さなんて、どうってことなかった。
そりゃぁ大変じゃないと言ったら嘘になるが、毎日のように娘たちが泣いていた日々と比べたら、お昼ご飯くらい何だと言うのだ。
なんてちっぽけなことでクヨクヨしていたんだろうって、今ならわかる。
でも、やっぱり。
当時はそう思えなかった、どうしても。
きっと母親であれば、ほとんどの人が、過去の私と同じような気持ちになるのではないだろうか。
きっと、そういうものなのではないだろうか。
私の場合、通過するべきポイントを通過してきたから、今があることは間違いないと思っている。
遠回りのように見えるけれど、さっさと自分の気持ちをきれいに片付けることができなくて、きっとよかったのだ。
納得できていることほど大切な実感はない
娘たちが泣いている毎日よりも、家族で対話ができる今の方が、ずっと健康的だ。
その証に、今日も娘たちは、おいしくご飯を食べて笑っていた。
教育支援センターにも行って、私とは分離で1時間、先生と勉強もしてきた。
次女は今、同室にある二段ベッドの上段の布団の中で、リエゾンを夢中になって読んでいる。
人間らしい穏やかな生活を長らく送れなかった私にとって、これ以上のシアワセはないと痛感する。
朝が来るのも、夜が来るのも怖かったあの頃。
あの頃もこうして夜にブログを書いていた。
今は、朝が来るのも楽しみだし、夜が来るのも楽しみだ。
そして今、こうして夜にブログを書いている。
人生って本当にわからないものだ。
あんなにあんなに辛くて辛くてたまらなかった育児が、こんなにも面白くなるだなんて。
明日もきっと良い日にしよう!
もりー