こだわりと脅迫行為|親子が苦しみから解放された経緯

記事内に含まれている広告では、私が実際に使ってみて良かったものをご紹介させて頂いております。

こんにちは、もりーです!

今日は私が過去に書いたブログ記事をもとに、自閉症スペクトラムの子どもと暮らす母親の苦悩と、そこから自分たちを解放していった経緯を書いていきます。

  • 子どものこだわりに疲弊している
  • 子どもの脅迫行為に  〃
  • 怒りたくないのに、つい頭にきてしまう

などなど、発達障害の子どもとの暮らしは、いばらの道だと思っています。

母親の負担が大きく辛いと感じるのは、ヒトとして当然な反応ではないでしょうか?

というわけで早速ですが、2019年9月20日(4年前)に書いたブログ記事からご紹介致します。

 

2019年頃の親子の様子と変化|自閉症スペクトラム長女のこだわりと強迫行為

※以下、過去の自分のブログから引用しております。

自閉症スペクトラム姉妹(8歳6歳)の母です。

先日の朝の出来事です。

  • 長女の確認行動
  • 長女が髪の毛を結ぶ時のこだわり

これらを中心とした色々なことが重なっていました。

ついに、対応しきれなくなってしまった私はなんと、

階段の上から下まで娘のランドセルをぶん投げてしまいました。

そんなことをしてしまった自分に対し、

あーぁ…やっちまった…という気持ちが生まれた一方で、

今のは仕方なかったかも…という気持ちもありました。

その後も一悶着ありましたが、2人の娘たちをそれぞれの学校と幼稚園に無事に送り届ける事ができました。

その日の夜。

長女が私のところに聞きに来ました。

「ママ、もう怒っていない?と。

もりー
もりー

こんな時、親はすっごく後悔するし、心が痛いよね。

そこで私は3つのことを伝えました。

  • 「もう怒ってないよ」ということ
  • 「辛かったよね」 ということ
  • 「あなたが辛いように、私も辛いんだよ」ということ

そして、このあと私が娘にしっかりと伝えたことは、

だれのせいでもないんだよ

ということでした。

そうしたら長女は、スッキリした顔をして離れて行きました。

当時の私は、「だれのせいでもない」と言える事が増えて来ました。

以前の私はもっともっと、自分を責める事が多かったです。

だけど。

いつからか気づき始めたのです。

自分を責めて、誰の、何の、役にたつのだろうか?

と。。

子どもに対してきつく当たってしまった時などは、そもそも私の心はかなり傷んでおり、素直に反省をします。

それから、悪かったことは悪かったと、子どもにちゃんと謝るようにも心がけています。

だとしても。

母親にも、どうしようもない時があるんです。

1番辛いのは子どもだって解っているからこそ、母は我慢 我慢 我慢 の連続になります。

母親はいつだって必死だから気がつかないだけで、いつの間にか自分の心がパンパンだった!ってことだってあります。

その他にも、社会との交わりの中では、プレッシャーを感じる事がたくさんあります。

けっこう辛いのよ。

もりー
もりー

発達障害の子どもたちとの暮らしは、想像を超えた辛さがある。

だからこそ。

必要以上に自分を責めて、自分で自分を落ち込ませることは、しないように努めたいです。

 

問題点|人という生き物は、責める対象があった方がラクな生き物なのか?

人という生きものは、

責める対象があった方が楽なことも多いんだろうなぁ

と感じることがあります。

じゃぁ、責める対象が自分だったら?

自分に問いかけ、浮かんできた答えは

ねたみそねみだろう

と素直に思います。

それは私にとって、以外の何ものでもない。

こんな風に自問自答を繰り返しているうちに私は、

だれもわるくないよ」

というセリフを、自然と口にするようになっていました。

誰かから「自分を棚にあげるな」と言われてもいい。

子どものせいでもないし、私のせいでもない。

そう思えるだけで、私自身がちょっと楽になれる。

すると不思議と、張り詰めていた親子の関係性も、ゆるくなるのです。

だからね。

不要な罪悪感は、さっさと手放してしまおう!

出来るだけ清々しく軽やかであれるように。

~以上ここまでが、2019年のブログ記事でした~

 

2024年現在|自閉症スペクトラム長女のこだわりと脅迫行為

それではここからは、現在の娘の状態について書いていきます。

強迫行為ナシ、特性上のこだわりはある

現在中学1年生となった長女に、脅迫行為はほとんど見られません。

ASDの特性上、こだわりがゼロになることはありません。

(専門家にもそのように言われています)

よくよく考えてみると『こだわり』というものは、生活に支障が出るほどになると厄介なものになるわけです。

現在の長女のこだわりは、生活に悪影響を及ぼしたりすることは皆無と言っても良いくらいなため、とてものびのびと過ごしているように見えます。

彼女が今、二次障害に悩まされずに生きられていることは、親としてもとても喜ばしいこと!

この先もできるだけ、彼女が二次障害に悩まされずに過ごせるよう、親ができることとしては

環境を整える

これ一択です。

 

不登校|ホームエデュケーションで心穏やかに暮らす

『環境を整える』とひとことで言っても、あまりにもザックリとしすぎていて、わかりにくいかもしれません。

具体的に言うと私の場合は、

本人が羽ばたきたいと思えるがやってくるまで、ホームエデュケーションを実践し続ける

ということです。

実際に現在の長女は、学校の規則や宿題にしばられることなく、それでも規則正しく日々を暮らしています。

学校に通っていた頃は、様々な規則や宿題にとらわれてしまっていました。

自宅に帰ってきたあとも、自分自身を解放してあげられる時間なんて、ほとんどなかったように思います。

それに加えて私自身も、学校の規則やルールにガチガチに縛られていたため、常に逃れることのできないプレッシャーを感じていました。

もりー
もりー

辛かったなぁぁぁぁ。泣

不登校も結局のところ、

  • 親が子どもを責めたり
  • 親が自分のことを責めたり

となるパターンは本当に多いと思います。

というより

残念ながら不登校経験者のほとんどの人たちが、一度は通る道かもしれません。

かくいう私自身も、通過してきた者のひとりです。

しかし今振り返ってみても思うことは、

やっぱり不登校は親のせいでもないし、子どものせいでもない

ということです。

 

不登校は社会の問題!!

しつこいようですが。

  • 子どもが集団に馴染めない
  • 子どもの幼保や学校への行きしぶり

などは、親の育て方の問題ではないことがほとんどです。(例外を除く)

そして、これらの解決のゴール

  • 子どもが集団に馴染めるようになる
  • 子どもが幼保や学校へ行けるようになる

と設定することにより、子どもが抱える本当の問題点は益々ややこしくなり、親子揃って沼へ。(これが過去の私が辿ったルート)

そして、不登校は親のせいではないと何度も書いていますが、

これはもはや社会の問題です。

情報があふれる現代。

ちょっと調べてみると、

不登校を解決(=学校に戻れることを定義とする)することを謳ったビジネス

なんかも見受けられるように思います。

お子さんの行きしぶりや不登校で悩まれている皆さま、そのようなビジネスの食い物にならないよう、気をつけて参りましょう。(自戒も込めて)

 

現在しんどい状況におかれている方のなかで、もしホームエデュケーションをご検討されている方がいらっしゃいましたら、それはなかなか良い選択かもしれません。

何の根拠もありませんが、ホームエデュケーションに切り替えたことで、人間らしい暮らしを送れるようになった親子がここにいます!

 

もりー
もりー

それではみなさまごきげんよう!