育児中に言われた地味に辛かった言葉5選 |母親目線より

記事内に含まれている広告では、私が実際に使ってみて良かったものをご紹介させて頂いております。

今日はブログを書くにあたり、【子育て当事者 一過性 一部の人】というようなキーワードで検索をしておりました。

すると、こんな記事を見つけました。

全国の世帯のうち、18歳未満の未婚の子どもがいる「子育て世帯」の割合が初めて20%を下回ったことが、厚生労働省の調査でわかりました。

首都圏 NEWS WEB より引用

なんと!子育て世帯数が想像を遥かに下回っている数値ではないか・・・!!と驚いたのは、私だけではないのでしょうか?

今の日本で子育て世帯であること自体が、もはやかなりの少数派。

過去の私は『育児は育自』なんて言葉を見ては「ふ~ん」くらいにしか思っていなかったのですが、

たった今『孤育て』という文字を目にして、

「ふ~ん」とは思えず、事の深刻さを突きつけられた気がしました。

というわけで、ここからは母親目線で書いて参ります!

育児中に言われてキツかった言葉4選 (乳児期~幼児期)

私にとっては過去の話になりますが、とは言え、まだそんなに古い過去ではありません。笑

故に、同じような想いを抱いている方も少なからずおられるのではないか?と想像します。

どなたかの目に触れることがありましたが、少しでも肩の荷が下りると良いなぁと思います。

その1「うちもだよー!」

同じ年齢のお子さんをもつママさんから言われると、けっこうグサッと来ていた言葉の王様!(ドドーン)

もちろん、お相手の方にまったく悪気がないこともわかっていたし、もしかすると心から共感してくれていたのかもしれません。

しかし、どう見ても全然違うんです、子どもの様子が・・・!!!

お店の買い物カートに乗っている子と、かたや、ギャーギャー騒ぎ、裸足で店内を歩く我が子。

「どこがうちもなんだーい?!」って、今思い出したら笑い話ですが、当時は違和感を募らせていくしかなかった私。。

そうして私は、社会というものから距離を置くようになっていったのでした。

これは、そういった違和感を感じる機会を減らすために自然と取った行動でした。

今振り返ってみても、これはあの頃の私にとっての正解だったと感じます。

その2「心配しすぎじゃない?」

子育ての最前線にいる人にしかわからない、子どもの奇行は沢山あるものです。

が故に、その心配を抱えているわけです。

しかし「心配しすぎ」だと言われると、私が変なのかな?と、自分の在り方に疑問を抱くようになっていきます。

子どもにとって何が良いのか?私はどうしたら良いのか?ますます分からなくなり、実際に様々な態度を試してみたこともありました。

しかし、迷えば迷うほど、露頭に迷うのが育児

私が心配しすぎな母親だったのか(現在も含め)どうかは分かりませんが、

そもそも程度の差こそあれ、母親とはそういう生き物なんでないの?!というのが、私なりの今の答えです。

その3「〇〇は良くないよ」

〇〇に入る現代の代表例が、ゲームやテレビの見せすぎになると思います。

かつての私自身、これらの与えすぎは良くないと考えていた者の1人です。

しかし子育ての最前線に立ってみると、テレビに助けられるという現実を突きつけられることに・・・!

1日◯時間まで、という理想の時間を守ろうとすればするほどイライラ。

それが守れないと、「今日も見せすぎてしまった」という自己嫌悪に。

しかし徐々に「これを死守したからと言ってどうなんだ?」と、少しずつ俯瞰して見られるようになっていきました。

もちろん、何事も限度というものはあると考えています。

しかしそれも、それぞれの事情によって変化し、そして異なるもの。

ですから、それの良し悪しを他人が気軽にジャッジすることは、とても軽率だと思います。

時は過ぎ、やがて私は、これらにわれている子どもたちいるという現実を知ることに。

そして、居場所を失った子どもたちが、この世界の中ならをすることができる、そんな現実があることを容易に想像できるようになったのです。

「〇〇しない方が良い」という意見の押し付けは、相手を追い詰めるだけ。

になる可能性がある◯◯は、誰かにとっての救いになる可能性もある、という想像力は忘れてはいけないなぁと痛烈に思います。

その4「◯◯は良いよ~!」

上に書いたことの、まさに逆です。

言い方次第、考え方次第によって、どちらにもなり得ることだと思います。

◯◯に入る代表例として、真っ先に思い浮かんだものが絵本!

そりゃぁ絵本は良いんです。

矛盾するようですが、かつての私は絵本の配本を頼んでいたほど、絵本信者でもありましたから。

しかし、我が子は逆行するかのように、絵本からは遠ざかって行きました。

子どもに良いと言われるモノ・コトは様々ですが、の我が子にとってそれが合うとは限らない、という事実は、いつだって存在するのが現実。

どんなに良いものであっても、今の子どもの興味とかけ離れていれば、大人の期待が満たされることはないのです。

更に言うと、大人が勝手に期待して、勝手に落ち込むということは珍しくないと思います。

子どもに与えてみたいものは、まずは、子どものそばにさりげなくいておくくらいがちょうど良いというのが、今の私の答えです。

余談ですが、今の娘たちは、本が大好きになりました。

あんなに絵本に興味を示さなかった娘たちが・・・!!という感じです。

文字がぎっちり詰まった文庫本はまだ苦手なようですが、偉人伝の漫画版は特にお気に入りのようです。

幼かったころはろしくて連れて行けなかった図書館も、今では「図書館連れていって」と言われるまでに。

子どもの成長って、本当にわからないものです。

その5「障害は個性」

当事者の親目線からすると、正直、「障害は障害」だし「個性は個性」と、強く思います。

どのように捉えるかは、個人の自由とも思います。

しかし、障害だろうと個性だろうと、子どもがもつ特性や壮絶な育児の現実が変化することはありません。

こども園も学校も、定型発達仕様でできているし、時間割だって回っています。

マイノリティである発達障害児仕様が、デフォルテで準備されているわけではないのです。

故に、そのような子どもを持つ親が社会に出ていく時は、想像を超えた大変さが待っているのです。

言うのは簡単だけれど、当事者の親としてはどう受け止めたら良いのか未だによくわからない言葉の1つが「障害は個性」です。

まとめ

言われて辛かったシリーズとしてここまで書いてきましたが、まずここで示しておきたいことは自分も言ってしまう可能性があるということです。

それくらい、そこら中にあふれている、かつ、意識レベルで飛び交う言葉だとも思っています。

とは言え、子育て最前線を担っている親たちにとっては、小さな言葉の数々もみ重なれば大きな負担となるのが現実。

まさに、塵も積もれば状態です。

子育て当事者であれる時期は一過性だからこそ、その辛さは、長い人生を考えると熱しやすく冷めやすいものなのかもしれません。

故に、当事者目線で大変さを想像出来る時期というのも、実は限られた時間しかないのかもしれません。

現に私も子どもたちが成長し、子どもが幼いときの、そして現代において抱える大変さというものは、実体験でわかることはできません。

だからこそ、想像力は大切にしておきたいと思うし、保護者の方から教えてもらえることはとても貴重だと思うのです。

大切な時期のお子さまと関わらせて頂く1人として、私にとって“子育て”は、これからも考え続けいくテーマです。

子育ての最前線にいらっしゃる方と子どもたちが、暮らしやすい日本でありますように・・・

こんなことを願いつつ、今日の記事はここまで。

最後までお読みくださりありがとうございました!

もりー
もりー

それではみなさまごきげんよう♬