ホームスクーラーの もりーです。
この記事を読まれる前に当事者の基本情報を抑えて頂くことで、記事の内容をよりお役立て頂けるかと思います。
- 2022年時点で9歳
- 極度の感覚過敏(着られるものの数が極端に少ない)
- 知的障害はなし
- 処方薬はエビリファイ
この類の件は、母親の正直な想いを話せる人が身近にいないのも多いのが現実だと思います。(私はそうでした)
そして、ここがかなり大きな問題だと考えています。
なぜなら、
相談できる人と正直な想いを話せる人は、
似ているようで違うからです。
というわけで。
このブログを読み終わる頃には
こんな人もいるのか、こんな考え方もあるのか、
という感じて、私が辿ってきた1つの道のりが、ほんの少しでもヒントになれましたら幸いです。
母親だって、自分の正直な気持ちを素直に感じる権利がある!
薬拒否だった娘が「飲んでみる」となった経緯
ここからは、過去に私が書いたブログをもとに記事を書いていきます。
2022年11月から12月にかけてのこと。
娘の感覚過敏の症状がどんどん悪化し、生活全般における質が確実に低下して行きました。
かつてから、
おくすりを飲んでみますか?
と、主治医からの提案があったものの
今はまだ要りません
と、断り続けていました。
その主な理由は以下の2点です。
- 本人が飲みたがらなかったから
- 薬の飲み始めはできるだけ遅い方が良いと私が考えていたから
しかしこの時ばかりは違いました。
「おくすり飲んでみる」と、娘が自ら申し出たのでした。
身体の変化に心がついて行かない状況は、娘にとってはとてつもなくしんどかったと、今でも思います。
娘はどうにもならないイライラから解放されたくて、薬を飲むことを決意したのです。
この頃はすでに、学校もほぼ休みがちでした。
それに加えて、もうこれ以上の状況悪化はないと思われた為、投薬に踏み切った次第です。
この時はもう限界だった・・・
エビリファイ|メリットよりもデメリットの方が圧勝だった
娘は納得して薬を飲み始めたので、自分自身の様子の変化を私に丁寧に教えてくれました。
(娘が自己分析ができたことは、私にとってはとても助かりました)
副作用は薬を飲みはじめてすぐに、現れました。
本人がこの時に最も気にしていた副作用は、
意欲の低下
でした。
それはたとえば
結果、娘はイライラ。
つまるところいざ飲んでみたら、
本末転倒な結果が待っていた
というわけです。
次は、この経験から私が得た大事なことを、当時のブログを引用しながら書いて行きます。
発達障害の子どもに「なぜ薬が必要なのか?」理由を明白にしておく
当たり前なのに、うっかり見失いがちなことの1つとして
そもそも魔法の薬はない
ということがあると思っています。
どういうことかと言うと、
薬の恩恵を受けるかわりに、手放すこともあるかもしれないよね?
ということです。
極端な例えで言うと、薬を飲んだら症状が楽になったけれど、眠くて眠くて最終的には倒れ込むようにして眠ってしまった・・・とかです。
しかも副作用について、
は、まったく異なると思っています。
どれだけ薬の効能と副作用を頭で理解し、
飲む目的を明確にしておいたとしても、
飲んでみないとわからない
というのが本当のところだと思います。
人が薬を飲む時は当然、少しでも良くなることを期待して飲みますよね?
しかしその期待をあっさりと裏切られることもあることを忘れてはいけないと、この時改めて痛感しました。
薬に勝手な期待を寄せすぎないことは大事だね!
それからもう1つの盲点として
薬そのものが、QOLのすべてを上げてくれるわけではない
ということが挙げられると思っています。
私が考える娘にとっての本来の薬の役割とは、『1番しんどい部分を少しでも緩和する』ということ。
だからそもそも、
日々のQOLの向上という大きな視点において必要なのは、薬だけではないはずなのです。
当然といえば当然だけれど、つい見落としがちだよね。
QOLを上げるために必要なことは、本人を取り囲む環境など、薬以外にも考えられることはたっくさんあったのでした。
例えば、
などなど。
それでも必要であれば、薬の力をお借りする
というのが理想の順番なのだと思います。
「そして効果は如何程か?」と、本人と相談しながら進めるのが安心だと、この時痛いほど感じました。
薬との付き合い方って、ほんっっと難しいよね・・・
薬物治療をせずに穏やかな暮らしを送れている理由
もしあの時、薬が娘の身体に合ってそのまま続けることができていたら、今でも飲んでいた可能性は十分にありえます。
それに、今後再び飲むことになる可能性だって十分にありえます。
薬を否定するつもりは全くないよ
ここまで色々書いて来ましたが、
薬=悪という考え方は全くないのです。
私が伝えたかったことは、
「薬を飲むことで、メリットを受けられるのは誰なのか?」冷静に確認してみることが大切だと思う
ということでした。
たとえば、学校の先生から声がかかったなどのご経験をされたことがある方はいらっしゃいませんか?
私自身、勧められたことはありませんが、薬について聞かれたことは何度もあります。
そうすると、誰だって少しは心が揺らぐものではないでしょうか?
他にはたらればの例で言うと、
などなど。
あげればキリがないくらい、理想は出てくるものです。
実際に私は、薬のおかげで安定した毎日を送っている人たちがたくさんいることも、知っています。
だからね、それはそれでいいんです。
当事者やその家族が、シアワセに暮らせていたら、それで良いんです。
あくまで私がここで強く主張したいことは、
他人が気軽に「薬」というワードを持ち出すのはお門違いだよね?
キリがない理想を追い求め続けるのは、親子共々苦しいよね?
ということなんです。
薬の問題は、とてもとても長いお付き合いになることが多いで
飲み始めたからといって、万事うまくいく保証はどこにもありません。
副作用だってあるし、それをストレートに受けるのは紛れもなく子ども自身。
サポートをするのは家族です。
我が家は現在ホームエデュケーションを実践していますが、とても安定した毎日を過ごすことができています。
しかし、こうも考えることができます。
薬を飲まなかったから、学校に行けていないのかもしれない。
あるいは、
薬を飲んでいたら、学校に行けていたかもしれない。
様々な仮説がたてられる状況のなか、私に迷いがない理由はただ1つ。
家族全員が、納得しながら日々を生きている
この事実が目の前にあるからです。
色々なことを時間をかけて実際に試し、やっとやっとたどり着いた結果が、今目の前にあります。
そしてこれ以外の最適解は、今のところ見つけることができません。
どちらにしても、
正解は一生誰にもわからない
だからこそ、たくさんたくさん悩んで、自分たちで納得のできる答えを掴み取っていくしかないのだと思います。
最後までお読み下さりありがとうございました。
それでは皆様ごきげんよう♫
もりー